
岡山地底湖行方不明事故は、2008年1月5日、岡山県新見市にある日咩坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)の地底湖で、当時21歳の大学生だったNさんが行方不明になった事故です。
この事故にまつわる謎を考察していきたいと思います。
この事件を調べる、と言ってもほとんどwikipediaを見ただけなのですが、かなり印象が変わりました。
この事故の報告書も矛盾していると感じる部分はなかったので、
実は被害者のNさんはこの地底湖に来ておらず別の場所で○害されたなどという説はあり得ないと感じました。
目次
1.入洞したメンバーは5人、Nさんだけが地底湖を泳いでいる。真冬に服を着たまま25ⅿ泳ぐのは不可解
この探検サークルの過去2回行われた合宿で日咩坂鐘乳穴には合計4回入洞が行われており、
事故の現場である地底湖畔に到着すると、泳ぎに自信のない者以外は一度は地底湖を横断して対岸の鐘乳穴最奥部の壁に到達することが慣例となっていた。
2006年には入洞した10名の内5名、2007年には入洞した21名の内9名が地底湖横断を行っている。この際、「さあどうする?」「誰かいく?」と促すことはあったが、強制することはなかったとされる。
wikipediaより引用,岡山地底湖行方不明事故
地底湖を横断する際には、右壁よりも距離が短い左壁沿いに、ホールドを伝って行った。
横断途中に危険を感じた者は多かったが、経験談としては達成感を強調したり、武勇伝として語られることも多かったため、危険性の認識には差があった。
最奥での余興イベントと考えている者もいたという。
wikipedaが岡山大学ケイビングクラブ『報告書 第12集』等の報告書をベースに書かれているためこの報告書に虚偽の記載がないことを前提として考えると、
慣例となっている地底湖横断を行っていないメンバーは、地底湖を横断することに一種の憧れや好奇心を持っていた者も少なくなかったのではないかと思います。
そして、被害者のNさんは日咩坂鐘乳穴への入洞経験がないため地底湖横断もを行ったことのないメンバーでした。
下記の表が参加者の情報だが入洞した5人のうち最も若いSだけが地底湖横断の経験者です。
主観的な話になるが年長者が横断経験者でパワハラで後輩に横断させたり、横断経験者ばかりのグループで「お前も泳げよ」のようなノリで行われるような集まりではないように感じます。
所属 | 氏名 | 学年(年齢) | 性別 | 洞窟経験 | 日咩坂入洞回数 | 地底湖横断経験 |
香川大学ODSC | O | 5回生(24歳) | 女性 | 5年 | 3回 | なし |
F | 3回生(22歳) | 3年 | なし | |||
S | 1回生(19歳) | 男性 | 4ヶ月 | 1回 | ||
高知大学学術探検部 | N | 3回生(21歳) | 3年 | なし | ||
浜松ケイビングクラブ | K | OB(29歳) | 4年 | 4回 | なし |
さらに、実はNさんとKさん(横断経験なし)の2人が地底湖横断に興味を示したことが報告書に書かれています。
まずKさんが横断を試み、2、3 m程進んだが足がつかなくなったためその地点で引き返した。Kさんは泳げなかったようだ。
Kが横断を断念した後は他に横断を試みる者はなかった。Kさんが出洞を提案すると、Nさんは「浮き輪やフィンがあればいいのにな」「ここは無理そうですね」と発言した。
wikipediaより引用,岡山地底湖行方不明事故
心残りがあるものの、他の班員が泳ごうとしないため決心がつかない様子であったという。
その様子を見た他の班員から、日咩坂鐘乳穴に入洞する機会は少ないため、心残りがあるのなら行ったらどうか、という趣旨の発言があったが、Nは返答しなかった。
その後、Oも出洞を提案したためNさん以外の班員は出洞を開始しようとしていたが、Nさんはまだ迷っている様子で、他の班員を誘うような発言をした。
班員は自分は横断を行わないが、「行きたいと思うのであれば行った方が良いのではないか」という趣旨の返答をしている。
この返答の後、Nは数秒間湖面を見つめていたが、無言のまま地底湖中央を対岸へ向って泳ぎ始めた。
Oさんは照射距離の長いライトを点燈して、泳ぐNさんのヘルメット附近を照らし、他の班員も泳ぐNさんを見守った。
このシーンもイメージしやすいと思います。時間をかけて地底湖まで辿り着き慣例となっている地底湖横断をする機会がやってきた。
しかし、Kさんも諦めて他のメンバーも泳ごうとはしないもどかしい気持ち。
しかし「岡山地底湖事件の闇」などと謳って概要だけ聞けば色々と想像が膨らんでしまうがここまでの情報だけでかなり印象が変わってくる。
イジメや悪ふざけで無理やり地底湖に落としたりしたなど言っている人もいるが報告書ベースだと全く違うようです。
もう一つ調べていてわかったのはこの地底湖まで辿り着くまでにほぼ水に使っているところを通る必要があるため、
全員服はびしょ濡れの状態だったということです。
真冬だから25メートルのを泳ごうとするわけがないと常識的には感じますが、
地底湖に着いたメンバーにとって真冬であっても服が濡れるということは気になる要素ではないのではないかと思います。
報告書内にも他の4人も全身が濡れていたとあります。
さらにNさんはこの合宿までに、確認されているだけで24回の入洞経験があり(日咩坂鐘乳穴は初)、海水でマスクやシュノーケル、フィン及びウェットスーツを着用して2時間以上の突き漁を行った経験も複数回あったほか、海水でも淡水プールでも、100 mを余裕を持って泳ぎ切るだけの泳力も有していました。
Nさんの発言の「浮き輪やフィンがあればいいのにな」もフィンを使用したことがなければ言わないセリフだと思います。
更に高知県須崎市の樽の滝の滝壺で、事故時同様のアンダーウェアとつなぎで遊泳したことも3回あったとされています。
この情報から事故当時の服装のイメージも変わりました。 この事故を闇と紹介している動画などを見ると説明はないが、
私服で湖を泳いだのではないかというイメージを持たれた方もいると思いますが、アンダーウェアとおそらく探検用のつなぎで泳いでいるのです。
一方で、着衣水泳の講習等を受けたことはなかったほか、冬季に保温性のある装備なしで遊泳した経験はなかった。
また、樽の滝での遊泳はいずれも5月から6月で、2008年(平成20年)6月の滝壺の水温は約16 °Cだった。
そのほか、夜間や洞内での遊泳経験もこれまでになかったと報告書には書かれています。
2.毎年恒例で届ける必要性を分かっていたはずなのに入洞届を出していない。
阿哲台の洞窟に入洞する場合は、新見市教育委員会生涯学習課への入洞届、入洞者名簿、連絡先、緊急時の連絡網、合宿計画書の提出が任意で求められていた。
過去に2回行われた冬季阿哲台合宿ではこれらの提出は行わなかったが、生涯学習課へ入洞日程の電話連絡は行っており、
その際に計画書の提出も求められなかったとされる。
また、入洞前と出洞後には、日咩坂鐘乳穴神社の宮司に口頭報告を行っていた。ただし事故が起ったこの年の合宿では、Dは役所が仕事納めをしていると考えて電話連絡を行っていなかった。
wikipediaより引用,岡山地底湖行方不明事故
また、2日に入洞した班は宮司への口頭報告を行っていたものの、事故当日の5日に入洞した班は、入洞時に宮司が不在だったため、こちらへの口頭報告も行わなかった。
よくこのサークルのメンバーの素行や入洞届を出していないことを取り上げられているが、一応は義務ではなく任意ということだった。
生涯学習課へ入洞日程の電話連絡も行っているため毎回学生だけが誰にも連絡せずに入洞していたわけではなさそうです。
もちろん安全に配慮して全ての届け出を任意とはいえ提出するべきという考え方も理解できますが、この点もこの事故のイメージを変える情報だと感じました。
しかしDは役所が仕事納めをしていると考えて電話連絡を行っていなかったという点は首を傾げました。
事故当日は1月5日なので当日に電話連絡するのは計画性のなさを感じてしまいます。
事故の起きた日は入洞時に宮司が不在だったため口頭報告も行っていなかったということなので、
結果的に普段から勝手に入洞していると思われることになってしまったのでしょう。
「タッチした」という声が聞こえたとメンバーは言うが警察が捜索に入ると地底湖の水により声がかき消され25ⅿ先での声が聞こえたとは考えにくい。
wikipedia内や当時の記事などで「タッチした」という声が聞こえたという記述を見つけることができませんでした。
よくあるこの事故のまとめ記事などで下記のようなことを散見します。
地底湖で飲み会をし酔った勢いで地底湖の奥の壁まで泳いで
「タッチ」と言って戻ってくるという伝統があり、
Nさんが地底湖を泳ぎ、奧の壁に到達して「タッチ!」と
叫んだところまではメンバーが確認しているものの、その後、姿も声も見えなくなってしまった。
しかも、水面で暴れるなど溺れた様子もなく、助けを呼ぶ声も無かった。
しかし25m先の声はかき消されると警察が言っているのであればその伝統も正確ではない可能性が高いです。
報告書の一部を見てみましょう。
・対岸に到着したNは片手を上げて合図を送るような動きを見せたが声は聞えず、班員も「どう?」「大丈夫?」などの声を送ったが、返答や合図はなく、声は聞えていない様子であったという。
wikipediaより引用,岡山地底湖行方不明事故
・その後、対岸の岩に腰掛け、足を水につけて休んでいるようなNの姿をFが目撃している。また、OとFが、水から完全に上がって立ち上り、周囲を観察するようなNの姿を確認した。
・その後、O、F、Kは、Nが戻り次第出洞するため、数十秒間Nから目を離していた。
次にOとFが対岸を見たとき、Nの姿は確認できなかった。
OとFは、こちらから死角となっている左壁に沿って戻ってくる途中であると思い、声で呼び掛けたが返答はなかった。
見ると、右壁の天井附近にNのライトの明かりが当っているのが確認された。このときのライトの動きはゆっくりとしており、泳いでいるときのような激しいものではなかった。Oはライトの動きから、Nが左壁に摑まって右壁を観察しているものと思い、早く帰ってくるよう呼び掛けたが応答はなかった。その後、天井に当っていたライトは移動し、確認できない時間が長くなった。
ここから察するに、対岸に着いた人はタッチしたと叫ぶが聞こえない、こちらの声も聞こえないということがメンバーも感じていたということがわかります。
ただ横断を成功させたメンバーが他のメンバーにこの慣例を話す際に「タッチ」と叫んだことを伝えて、
皆が聞こえはしないが対岸に着いたら「タッチ」と叫ぶものだと理解していた可能性があります。
仮に「タッチした」という声が聞こえたとメンバーが警察に言ったことが本当だとしたら、
「タッチした」ということが慣例であり対岸に到着したNは片手を上げて合図を送るような動きを見せたことから
当然「タッチした」と言ったのだろうと思って警察に曖昧な情報を伝えてしまったのかもしれません。
3.溺れた可能性と言って警察に届け出ているが溺れた姿を見た人はいない。仮に溺れたのだとしても助けを呼ぶ声は誰も聞いていない。
先ほどの声が聞こえないことと関連する疑惑です。
「溺れた可能性と言って警察に届け出ているが溺れた姿を見た人はいない」ことに関しては、
泳ぎ初めて対岸に着き戻ってくるNさんを見失ったと報告書には書いていますので矛盾はしないかと思います。
助けを呼ぶ声が誰も聞いていないに関してもこの地底湖は対岸の25m先の声はかき消されるほど声が聞こえづらいのです。
突発的に溺れた際に口に水などが侵入する中で叫ぶ声が聞こえなかったとしても不思議ではないように思えます。
下記の報告書内の記述を見てください。
・断続的にその後も「Nくーん!」「早く戻ってこーい!」などと呼び掛けていたが応答はなく、水音や反響で聞えていないと考えた班員が「おーい」と呼び掛けると、初めて「おーい」との声がNから返ってきた。
wikipediaより引用,岡山地底湖行方不明事故
・10秒から15秒後に再度「おーい」と呼び掛けると、これにも「おーい」との応答があり、更に10秒から15秒後に行った3度目の「おーい」との呼び掛けにも、応答が返ってきた。この3度目の応答は「おーい」と聞き取れるものではなかったが、確かに応答であり、また待機していた4名に危機感を抱かせるようなものではなかった。
・更に10秒から15秒後、4度目の「おーい」との呼び掛けを行ったがNからの応答はなかった。応答が途絶えたため、班員らはここでNに不測の事態が発生したと考え、各自大声で呼び掛けたが応答はなかった。
・洞壁や水面にはNのライトの反射は見えず、湖面にも波紋はなかった。Oが左壁面沿いに5―6 m泳ぎ出て、死角のない位置から湖面全体を確認したが、Nの姿やライトの光は見えなかった。
途中まではNさんの応答があったようです。実際にどの程度の声を発していたかはわかりませんが、
最初に応答が途絶えてから水音や反響で聞えていないと考えた班員が「おーい」と呼び掛けるところに注目すると
確実に声を届けるためにかなりの声量だったのではないかと予想されます。
泳いでいるNさんからの返答も同じく聞こえるようにそれなりの声量を出していたはずです。
応答が途絶えた際におぼれたのではないかと予想されますがその際に正常な状態では出せた声を出せなかったことは自然だと思います。
溺れる姿を確認できなかったのもNさんが他のメンバーから死角にいたのだから見えません。
少し泳がなければ死角のない位置に行けなかったとありますので泳がないことに決めて出洞の準備を始めた他のメンバーが監視することができなかったのです。
結果論になってしまいますが、この時に1人でも死角のない場所から見てあげる人がいればこのような事故にはなっていなかったのかもしれません。
入洞した際メンバーは5人とされているが4人になったり3人になったりニュースによって人数が変わる。
これは当時のニュースを確認できないので調べることはできませんが推測することはできます。
まずこの事故当日に入洞したのは5人ですが、この日の前日1月4日に同じチームの他のメンバーが4人で入洞しています。
さらに当日は同じチーム5名と4名で分かれた班がゴンボウゾネの穴から本小屋の穴までの通り抜けルートで探検しています。
このように詳細が複雑なのでニュースを見た人が勘違いした可能性や、正しく報道機関に伝わっておらず人数が変化した可能性が考えられます。
溺れた可能性があるにも関わらず残りの4人全員で現場から立ち去り、地底湖から挙げる為に必要なローブなど持って出ている。
・救援を要請するために出洞する人員について検討し、Fからは洞内では単独行動をしないのが原則であり、2名を残して2名が出洞し、通報するべきとの意見が出た。
wikipediaより引用,岡山地底湖行方不明事故
・しかしこの時点で、O、K、Sの3人は湖で泳いでいたほか、Fも地底湖に到達する途中の水流部で全身が濡れていたため、長時間この場所に停滞することは低体温症を引き起す危険があった。Oは2名を残した場合、二次災害の危険性が高いと判断し、全員での出洞を決断した。
・Nを待機していた場所の目立つ岩の上へ「N君へ、ここで待っていてください。救援が来ます」と書いたメモと、保温性の高いサバイバルシートを置いた。このメモの場所にライト等を点燈設置することはしなかった。
・午後2時50分に出洞を開始し、各ラダーポイントに張ったロープはそのまま残置した。出洞するまでの間にOとFが通報について検討を行い、警察と消防に通報する必要があるとの結論に達した。
この報告書内の記述から他のメンバーは全身が濡れていたため低体温症による2時災害を避けるために全員で出洞したとあります。
さらにFさんは2名を残し2名で出洞し通報という意見を出しています。
仮にFさんの意見を取り入れた場合Nさんが助かっていた可能性も0ではないかもしれません。
しかし4人が出洞したのが5日の15時、5日の23時に警察が入洞し3時間かけて地底湖まで辿り着いているので翌6日の2時に着いたことになります。
この間10時間です。
真冬の洞窟の中で全身濡れた状態で10時間助けに来ない状態が続けば本当に2次災害になっていた可能性があるため、
このメンバーがとった選択を完全に否定することはできないのではないでしょうか?
ライフジャケットはおろか浮き輪すらなかった状況で白濁した湖からNさんを残った2名で捜索することは難しかったように思えます。
地底湖から出るのに必要なローブなどを撤去している
報告書には各ラダーポイントに張ったロープはそのまま残置したとあります。
ラダーポイントとはロープなどを使用しなければ通れない高低差が激しいポイントのことです。
しかしこのような記述もあります。
・徹夜で捜索を行ったが、捜索隊の体力の消耗も激しく、6日午前8時に一旦中断し、7日午前9時から再開することとした。 捜索隊が入洞してのち、連絡員1人を神社に残したほかは合宿参加者は全員宿所に戻っていたが、6日朝の起床後に日咩坂鐘乳穴へ向い、出洞してきた捜索隊からDら3人が状況説明を受けた。その話から、捜索は水中のみであり支洞部分は行っていないことを知り、二次災害のおそれの少ないDら3名が捜索を行うことを提案し、警察も了承した。
wikipediaより引用,岡山地底湖行方不明事故
・3名は午前11時に入洞したが、第二ラダーポイントで残置されていると考えていた補助ロープを発見できず捜索を終了、午後1時に出洞した。その後、現地に駆け付けた高知大学学術探検部OBの1名を加えて、警察に連絡の上午後6時20分に再び入洞、2人ずつに分かれてそれぞれ支洞と地底湖の捜索を行った
ここで同じ探検チームであるDら3人が捜索に入洞した際に第二ラダーポイントで残置されていると考えていた補助ロープを発見できず捜索を終了とあります。
この記述から地底湖から出る際に必要なローブなど撤去しているという情報が出回っているのかもしれません。
ではこの補助ロープはNさんと一緒に入った4人がわざと撤去してのでしょうか?
おそらく違うのではないかと私は推測します。
理由は第二ラダーポイントで残置されていると考えていた補助ロープを発見できず捜索を終了したのは警察が地底湖捜索した後に捜索を試みたDら3人だからです。
警察が地底湖へ到達しているということはロープはあった可能性が高いです。
しかし警察は洞窟の捜査に慣れていないはずです。
Nさん捜索の指揮をとった岡山県警機動隊の警部補は「隊員歴16年の中でも3本の指に入る大変さだった」と語っています。
この警察が捜索する際に第2ラダーポイントのロープに何か不具合が起きた可能性が考えられます。
Dさんにいたっては前日に地底湖まで到達しているので場所を間違えることはあり得ないでしょう。
探検サークルのHP上で部長と副部長の名前が事故後削除されている。
この事故が悪い意味で話題になってしまったのはこの謎が原因なのかもしれません。
しかし先に示してた入洞したメンバーの情報を見てください。
所属 | 氏名 | 学年(年齢) | 性別 | 洞窟経験 | 日咩坂入洞回数 | 地底湖横断経験 |
香川大学ODSC | O | 5回生(24歳) | 女性 | 5年 | 3回 | なし |
F | 3回生(22歳) | 3年 | なし | |||
S | 1回生(19歳) | 男性 | 4ヶ月 | 1回 | ||
高知大学学術探検部 | N | 3回生(21歳) | 3年 | なし | ||
浜松ケイビングクラブ | K | OB(29歳) | 4年 | 4回 | なし |
この表の所属を見てほしいのですが高知大学学術探検部はNさん1人だけです。
この探検チームは他の大学との合同合宿だったようです。
この探検チームは愛媛大学学術探検部のOB、OG計2名、
高知大学学術探検部のOB1名と現役生3名、
香川大学アウトドアスポーツクラブ(ODSC)の現役生5名、
山口大学洞穴研究会と広島大学探検部のOB各1名、
浜松ケイビングクラブの会員1名の計15名が参加していました。
高知大学学術探検部のOB1名と現役生3名なのでNさんの他に現役生が2名参加していたようですが、
入洞組ではなく通り抜けルート組だったのでしょう。
イメージで高知大学学術探検部内の人間関係などから起きた事件と考えて部長と副部長が関与していたと思ってしまった人がいたのだと思います。
HP上で部長と副部長の名前が事故後削除されていたのは事故がネット上で思わぬ広がり方をしていて恐怖から削除してしまったのかもしれません。
部長は女性で行方不明となったNさんと交際していた説がある。
これは可能性は高いと感じます。交際していたと仮定すると後述するSNSのログインの説明もつきます。
NさんのSNS(mixi)が事故後何者かによって投稿記事の中身が削除されている。
こちらも恐らく部長や副部長がネット上で炎上していることから対策として記事を削除したのだと思います。
どのようにNさんの投稿を削除したかは部長が交際していたのであればログイン情報を知っていた可能性はあります。
その記事削除やHP上の名前の削除がネット上で逆に怪しまれる材料になってしまったのですが...。
さらに、調べてもこの当時の部長副部長が高知大学学術探検部の現役生3名にいたのかは確認できませんした。
HP上の名前削除や記事削除の件から参加していたのだろうと思われただけで実際参加していなかった可能性すらあります。
真相
Nさんが発見されていないことから、事故が起った原因は特定されていません。
調査報告書では、「事故者は何らかの原因により、地底湖横断中、帰路において地底湖に沈んだと考えられる」とした上で、「地底湖を横断中に体力が尽きた」「地底湖横断中に足が攣った」「地底湖横断中にパニックに陥った」「地底湖横断中に意識を喪失した」「地底湖横断中に死に直結する生理学的な反射を引き起こした」と、考えられる原因を挙げています。
私が考える真相も、足が攣ってパニックになり声もあげれずに沈んでしまって白濁した湖の中で見つけてもらうことができなかったのではないかと思います。
まだ今ほどネットの炎上事件などがない環境で対策を間違えてしまったり、イメージ画像の怖さ、被害者は行方不明のままという色々な要因が重なって都市伝説や闇のように考えられるようになってしまった事故なのかもしれません。