第3話「飼育の作法」で引用された本
「記憶屋ジョニィ」ウィリアム・ギブスン
ウィリアム・ギブスンの短編集「クローム襲撃」に収録されている「記憶屋ジョニィ」からの引用。
「記憶屋ジョニィ」の英語タイトルである「Johnny Mnemonic」が差出人不明のメモリーファイル名に付けられている。
このことからギブスン好きのチェ・グソンが作成者であることがわかります。
記憶屋ジョニィは『JM』というサイバーパンクSF映画の原作でもあり、出演はなんとキアヌ・リーブスで北野武のハリウッドデビュー作品でもある。
「愚か者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」オットー・フォン・ビスマルク
こちらは本ではなく名言ですが、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの名言からの引用。
Fools learn from experience. I prefer to learn from the experience of others.(愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験に学ぶのを好む。)
宜野座信親が常森に対して言ったセリフ
「愚か者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。君が愚か者で無いことを祈ろう」
「愚か者は愚か者らしく、何もかも経験で学んでみるがいい。それが理解への早道だ」
第4話「誰も知らないあなたの仮面」で引用された本
「1984年」ジョージ・オーウェル
「君なら菅原翔子より完璧なスプーキー・ブーギーが務まるよ」
この時槙島が読んでいた本がジョージ・オーウェルの『1984年』です。
この後のトマトジュースをミキサーにかける演出が印象的。
「善悪の彼岸」フリードリヒ・ニーチェ
常守朱(つねもり あかね)が征陸智己(まさおか ともみ)に狡噛慎也(こうがみ しんや)との関係を相談するシーンで、「善悪の彼岸」の「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」が引用されています。このフレーズは多くの作品で使われていますね。
第5話「誰も知らないあなたの顔」で引用された本
「人類不平等起源論」ジャン=ジャック・ルソー
「ルソーって知ってるか?」
「えっと…哲学者の?」
「そう。その著作の人類不平等起源論」
「ちょっと待ってください。検索してみるんで。」
「その必要はない。俺の脳内には記憶されてる。」
「例えば、二人のハンターが森にいる。其々別々に兎を狩るのか、それとも、二人で協力して大物を狙うか。どちらが正しい判断だと思う?」
「勿論後者です。ゲーム理論の基本、協力して大物」
「その通り。それが人間の社会性だ。言葉、手紙、通貨、電話、この世に存在するありとあらゆるコミュニケーションツールは全て、この社会性を強化するための物だ。ネットに、その効果はあると思うか?お嬢ちゃん」
「さらば、映画よ」寺山修司
アバターを通じて槙島が御堂将剛にお勧めする本。この直後に御堂は死亡するが。
「戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている」に収録されている「さらば映画よ」からの引用。
「ねぇきみ。寺山修司を読んだことは?」
「は?て...寺山?」
「読むといい、戯曲『さらば、映画よ』。みんな誰かの代理人なんだそうだ。代理人達がさらにアバターを使ってコミュニケーションを代理させている。」
第6話 「狂王子の帰還」で引用された本

「十二夜」・「マクベス」・「タイタス・アンドロニカス」 シェイクスピア
1期 6話:女学校の文学の授業で扱っていた作品「十二夜」。河原崎加賀美が朗読(のちの被害者)。
「本当の女心は決して私どもに劣りはいたしません。たしかに我々男は、もっと言葉にも出し誓いを立てたりもいたしますが、本当は心にもない見せかけだけの場合も多いございます。私たち男は、口先だけは立派なことも申しましょうが愛情で立証することは滅多にございません。」
王陵璃華子「シェイクスピアの喜劇は退屈ね」
「お嫌いですか?」
王陵璃華子「悲劇は好きよ。特にマクベスとタイタス・アンドロニカス」
タイタス・アンドロニカスを引用する槙島。
槇島「辱めを受けた命から解放されて、ラヴィニアは幸せだったと思うかい?」
王陵「娘が辱めを受けたあとも生きながらえ、その姿をさらして、悲しみを日々新たにさせてはなるまい、でしたっけ?槇島先生」
槇島「美しい花もいずれは枯れて散る。それが命あるもの全ての宿命だ。ならいっそ、咲き誇る姿のままに、時を止めてしまいたいと思うのは無理も無い話だね。だかしかし、もし君が彼女を実の娘のように愛していたというのなら、君はあの子のために流した涙で盲目になってしまうのかな?」
王陵「あら、それは困りますわ。だって私、これからも、もっともっと新しい絵を仕上げていかなければならないもの」
第7話 「紫蘭の花言葉」で引用された本
『死にいたる病』 キルケゴール
王陵 璃華子の父が好きだったキルケゴールの言葉として「死にいたる病」から引用。
「人間は動物より勝っているからこそ、言い換えれば人間は自己であり精神であるからこそ、絶望することができるのである。」
第8話「あとは、沈黙。」で引用された本
「タイタス・アンドロニカス」 シェイクスピア
こちらもまたシェイクスピアの「タイタス・アンドロイカス」。
王陵璃華子の最後と槙島の朗読が美しいシーン。
槙島「ゴートの女王タモーラのセリフだったかな。かわいい息子たちからのご褒美を奪うことになる。
あの子たちの情欲は満たしてやらねば。」
「さあ、狩りが始まるぞ、しらじら明けの朝、野原はかぐわしき香り、森の緑は濃い。
ここで猟犬を解き放ち、声高く吠えさせよう。真夜中になるとここは、
何千もの悪魔やシューシューと威嚇の音を立てる蛇、
何万もの子鬼や体のふくれ上がったヒキガエルどもが集まって、
身の毛もよだつ狂乱の叫びを上げる。
この女の涙を見るのは、あなたの名誉になる。」
「ただし、心を火打ち石にして、涙の雨だれなど跳ね返すこと。
さて、その舌でしゃべれるなら、告発するがいい。
誰に舌を切られ、誰に犯されたか。思いの丈を書いて訴えるがいい。その2つの切り株で字が書けるなら。
この女の生涯は野獣に似て、哀れみ欠けていた
死んだ今は、野鳥程度の哀れみが似つかわしい。」
第9話 「楽園の果実」で引用された本

『パイドン―魂の不死について』 プラトン
医療目的のサイボーグ技術についてのインタビューをさえる泉宮寺が『パイドン―魂の不死について』 から引用。
泉宮寺「不思議なんですよ。なぜみんな早く不自由な肉体を捨ててしまわないのか。」
泉宮寺「肉体は魂の牢獄だとプラントは言いました」
泉宮寺豊久は彼は脳と神経以外の全身をサイボーグ化している110歳のおじいさんなのですが、槙島との会話もとても面白く作中でもトップクラスに好きなキャラクターです。
第11話 「聖者の晩餐」で引用された本
「情念論」ルネ・デカルト
槙島の犯罪係数が正常値を示し続けるためドミネーターで裁けずに狼狽しながら猟銃を構える常守朱に対して、槙島がデカルトの「情念論」より引用するシーン。
「デカルトは決断ができない人間は欲望が大きすぎるか悟性が足りないのだと言った。どうした?ちゃんと構えないと弾が外れるよ」
第13話「深淵からの招待」で引用された本

「闇の奥」ジョセフ・コンラッド
入院中の狡噛が読んでいた本がジョセフ・コンラッドの「闇の奥」です。
映画「地獄の黙示録」の原作で「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出されている作品。
↓こちらの記事で地獄の黙示録に出てくる衝撃的なキャラクターを紹介しました。
第14話「甘い毒」で引用された本

「あらかじめ裏切られた革命」 岩上安身
あらかじめ裏切られた革命はソ連崩壊後のロシアを綿密な現地取材を元に書いたノンフィクション作品。
槙島が犯罪係数を誤魔化せるヘルメットを量産して一般市民が暴動を起こしていることを確認した後チェ・グソンに電話をかける際に読んでいた本。
「人が人を殺してるだけだ。大変なことなんて、まだ何も起きていない。大変なことは、これから起きる」
第15話「硫黄降る街」で引用された本
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』フィリップ・K・ディック
槙島「落ち着かないかね」
チェ・グソン『そりゃあね。不安にもなりますよ。果たしてここから先に何が待っているのか、この街がどうなってしまうのか』
槙島「君のそういう普通なところすごくいいと思うよ」
槙島「僕も君もごく普通で本質的にありきたりの人間だ」
槙島「自分の事を欲張りだと思った事は無いよ。当たり前の事が当たり前に行われる世界。僕はそういうのが好きなだけでね」
チェ・グソン「ごく普通でありきたりな我々が、普通でない街に犯罪を仕掛ける。」
槙島聖護「普通でない街か。何だろうな、昔読んだ小説のパロディみたいだ、この街は。」
チェ・グソン「例えば…ウィリアム・ギブスンですか?」
槙島聖護「フィリップ・K・ディックかな。ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的でなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない」
チェ・グソン「ディック読んだ事ないな。最初に一冊読むなら何がいいでしょう」
チェ・グソン「古い映画の原作ですね」
「虐殺器官」 伊藤計劃
新編集版8話の追加シーンで伊藤計劃が引用されました
槙島「犯罪者予備軍はヘルメットの存在を知った瞬間犯罪者になる」
チェ・グソン「なるほど」
槙島「味を知らないなら誰も蜂蜜を盗もうとはしない。
シビュラシステムの従順な羊もきっかけさえあれば狂犬に変わる。
僕はずっとそう考えてきたし実際うまくいきそうだ。
犯罪者の存在さえ許さない社会はやはり不健全だよ。
完璧に殺菌された環境で育った人間がある意味どんな病人よりも弱い存在であるのと同じように。
まるである日突然虐殺が内戦というソフトウエアの基本仕様と化したかのようだった」
チェ・グソン「知ってますよその本。プロジェクト・イトー」
槙島ニヤリ。
第16話「裁きの門」で引用された本
「パンセ(ブレーズ・パスカル)」 「大衆の反逆(ホセ・オルテガ・イ・ガセット)」
パスカルの「パンセ」を引用する槙島に対してオルテガの「大衆の反逆」 を引用し返す狡噛。
槙島「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため、人は正義に力を与えることができなかった」
狡噛「誰かがパスカルを引用したら用心すべきだとかなり前に学んでいる」
第17話「鉄の腸」で引用された本
「ガリバー旅行記」ジョナサン・スウィフト
「まるでバルニバービの医者だな」
「なんだって?」
「スウィフトのガリバー旅行記だよ。 その第三篇。ガリバーが、空飛ぶ島ラピュータの後に訪問するのがバルニバービだ。 バルニバービのある医者が、対立した政治家を融和させる方法を思いつく。二人の脳を 半分に切断して、再びつなぎ合わせるという手術だ。これが成功すると、「節度のある、 調和のとれた思考」が可能になるという。この世界を監視し、支配する為に生まれてきたと自惚れている連中には、何よりも望ましい方法だと、スウィフトは書いている」
「聖護君は皮肉の天才だな」
「僕ではなく、スウィフトがね」
この後、槙島の『神の意識を手に入れても、死ぬのは怖いか?』というセリフがとてもかっこいい。
この時藤間から槙島に返却された本はマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」です。
第19話「透明な影」で引用された本
「官僚制」マックス・ウェーバー
「マックス・ウェーバーの言葉を借りれば、理想的な官僚とは、憤怒も不公平も無く、さらに憎しみも激情も無く、愛も熱狂も無くひたすら義務に従う人間のことだと言う」
「シビュラシステムは、そういう意味では理想の官僚制的行政に近いかもしれない。ただしそれは、公表されているシビュラの使用が、全て真実という前提の上での話だ」
「マックス・ウェーバーからもう少し引用しよう。官僚制的行政は知識によって大衆を支配する。専門知識と実務知識、そしてそれを秘密にすることで優越性を高める」
雑賀:「そういう段階じゃないな。純粋に捜査協力のためにだよ。もしこの席に槙島もいたら、どんな風に参加してくると思う?」
狡噛:「あいつは、マックス・ウェーバーを持ち出された次の瞬間には、フーコーやジェレミー・ベンサムの言葉を引用して返すでしょう。システムというよりは、巨大な監獄では?パノプティコン。一望監視施設の最悪の発展形。最少の人数で最大の囚人をコントロールする。もしかしたらガリバー旅行記あたりも引用するかもしれない。あの男はシニカルで歪んだユーモアの持ち主です」
雑賀:「なるほど、進みすぎた科学と政治への風刺として」
第21話「血の褒賞」で引用された本
マタイ「福音書」
13章24-30節の毒麦のたとえを、槙島が引用している。
槙島「イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った」
実際に文字通り毒麦を毒麦を蒔こうとしている槙島にぴったりの引用です。
第22話「完璧な世界」で引用された本
『失われた時を求めてースワン家のほうへ』 マルセル・プルースト
最終回の最後のシーンで狡噛が読んでいた本『失われた時を求めてースワン家のほうへ』 マルセル・プルースト。